恐れるなかれ

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【完全版】東福岡高校サッカー部歴代メンバーベスト11

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東福岡高校サッカー部の歴代ベスト11!

福岡市博多区にある東福岡高校。2,200名以上の男子生徒が通うマンモス校だ。
サッカー部は1997年に公式戦52戦負けなしで、史上初の高校三冠を達成。
主なタイトルはサニックス杯国際ユース1回、全日本ユース1回、FBS杯1回、インターハイ3回、選手権3回を誇る。

 

その輝かしい戦績の中で東福岡高校サッカー部ベスト11を選んでみた。
選出軸は試合数、代表歴、貢献度、ほどほどの主観で選出。フォーメーションは伝統の4-5-1で、誰がどのポジションに入るかは個人でお楽しみ下さい。異論は大歓迎!

 

 

GK 富永康博

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1980年5月22日(40歳)
通算29試合0得点
東福岡三冠世代の一つ下の学年で選手権優勝メンバー。
190cmを超える体格がGKの新時代到来を予感させたが、入団した名古屋では楢崎正剛が君臨しており出場機会を掴むことができずデンソー→鳥栖→マリノス→札幌と渡り歩き2008年に現役引退。楢崎さえいなければ大きな選手になっていたと思うが…。
現在京都サンガF.C.GKコーチ

 

DF 古賀正紘

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1978年9月8日(41歳)
通算489試合25得点
J1全クラブが獲得に動き争奪戦の末名古屋へ入団。加入直後からその実力を遺憾なく発揮し年代別代表に度々招集。しかしフル代表には縁がなく最も過小評価されているDFの一人。現在名古屋グランパスU-15コーチ。

 

DF 金古聖司

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写真:サッカーダイジェストWeb

1980年5月27日(40歳)
通算217試合16得点
2生時に高校三冠とDFながら得点王、翌年は選手権連覇と鳴り物入りで鹿島へ入団。
怪我の多い選手生活だったが一時は鹿島でレギュラーを掴むなど奮闘。
その後神戸や福岡を経て東南アジア4ヵ国でプレーし、本庄第一高校サッカー部監督を経て、現在はスポーツ選手代理人業に転職。

 

DF 千代反田充

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number.bunshun.jp

1980年6月1日(40歳)
通算342試合22得点
金古と同様に2年時からDFのレギュラーとして定着し高校三冠&選手権連覇の中心人物。大学経由プロ入りという東福岡としては少数派で、福岡→新潟→名古屋→磐田→徳島と移籍したクラブで主軸を任されたのは立派の一言。
特に福岡では金古と高校以来のDFラインを形成した時は胸アツだった。
現在はアサヒビールの社員。

 

DF 手島和希

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後列右から3番目が手島。

1979年6月7日(41歳)
通算280試合5得点
伝説の三冠制覇時のキャプテン。ワールドユースでは小野や本山と共に準優勝へ貢献。派手な選手ではないが清雲監督時代から重宝され続けている実力者DF。高校卒業後のフリューゲルスへの入団や謎のガンバ移籍などはあったが、ほぼ京都サンガに在籍し裏ミスターサンガと言う声も多い。また静かに日本代表候補にも選出された実績を持つ。現在京都サンガF.C.U-15監督。

 

MF 長友佑都

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1986年9月12日(33歳)
通算321試合16得点
説明不要の選手。東福岡高校にはインテル時代の55番ユニが飾ってます。

 

MF 本山雅志

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1979年6月20日(41歳)
通算527試合59得点
1年生からレギュラーに定着し3年生時に高校三冠達成した東福岡サッカー部の象徴的な存在。フル代表定着までは至らなかったが、ワールドユース準優勝、ビスマルクから10番を継承されるなど輝かしい実績を持つ。鹿島退団後は地元北九州へ移籍。現在は初の海外挑戦となるマレーシア2部のクランタン・ユナイテッドFCへの移籍。

 

MF 宮原裕司

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1980年7月19日(39歳)
通算210試合8得点
高校三冠と選手権連覇の中心メンバー。3年生時の選手権決勝のロングループシュートは語り草。名古屋に入団後、福岡、鳥栖、愛媛で背番号10番を背負い活躍。
2010年現役引退後は最年少でS級ライセンスを取得。アビスパ福岡や、ガンバ大阪コーチを経て、現在は松本山雅FCトップコーチ。
ガンバ大阪や松本山雅OBでは無い選手がコーチになったことでその指導力は本物と話題に。
サラサラヘアーがとてもキレイだが、YouTubeでのグラサンは不評。

 

MF 小島宏美

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1977年12月12日(42歳)
通算308試合70得点
ガンバ在籍時は34試合で17得点の決定力を持つスピードスターで日本代表にも頻繁に招集される。大阪→札幌→大宮→大分→神戸→岐阜と渡りあるき神戸では様々なポジションで新境地を開拓し背番号10をつけ見事復活。通算70得点は素晴らしいの一言。
東海社会人リーグ2部のボンボネーラ岐阜の選手兼コーチを経て現在は不明。

 

MF 池元友樹

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1985年3月27日(35歳)
通算411試合118得点
高校卒業後にアルゼンチンのリーベル・プレートに練習生として入団し、そこでの活躍が認められU-19代表に選出。当時海外のクラブに在籍している選手が選出されることはなかったため話題になった。帰国後は地元北九州で主に活躍しキャリア合計で118得点を上げ、2020年に北九州で引退。

 

FW 山下芳輝

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1977年11月21日(42歳)
通算374試合75得点
選手権ベスト4で小島、山下、西の三銃士が中心となり東福岡の隆盛期を築く。
高校卒業後は同年昇格したばかりのアビスパへ入団。地元出身期待の星として開幕戦デビューを果たし、参入戦では降格危機を救う同点ゴールを決めるなど福岡のエースとして活躍し、世代別日本代表やフル代表にも召集される実績を持つ。
その後仙台→柏→大宮→栃木→琉球と移籍し琉球監督のトルシエが山下を呼び寄せそのまま2011年に現役引退。現在は株式会社Glanzの代表取締役社長。 

 

 

 

いかがでしたか?既に引退した選手やまだ一線で活躍している選手など多様な人材を輩出している東福岡高校。意外な選手も含まれていたのでは?
次回はまた違う形で若い選手もご紹介できればと思っています。